春の京都 近所の桜 第4回は、京都逓信病院にある2本の大きな桜を紹介します。
京都市中京区新町六角にある京都逓信病院は、1923年に逓信省の職域病院として開設されました。その正面にある桜は病院が隠れるほどの大きさです。
京都逓信病院の桜
京都逓信病院には、2本の大きな桜があります。春先に訪れたときはちょうど満開で、大振りの桜が見事な花を咲かせていました。
画像を見ればわかりますが、正面の桜は5階建ての京都逓信病院が隠れてしまうぐらいの大きさです。
玄関正面の桜もいいのですが、その脇にあるもう一本の桜も同じぐらい大きくて、見事な花を咲かせています。
京都逓信病院
京都市中京区新町六角にある京都逓信病院は、1923年に逓信省の職域病院として開設されました。逓信省とは昔の郵政省のことですね。
いまだに京都逓信病院という古めかしい名前ですが、現在は日本郵政株式会社の所有になりました。京都逓信病院以外にも日本各地に14の逓信病院があります。
京都逓信病院は100床に満たない小さな病院です。街のド真ん中にありながら、「こんなとこに病院なんかあったっけ?」と思ってしまいます。
京都逓信病院は元々大正12年(1923年)に大阪逓信診療所京都支所として開設され、以後は京都市内を転々として、現在の中京区新町六角西六角町に落ち着いたのは昭和36年(1961年)でした。
京都逓信病院がある新町通や室町通は昔から呉服の町として栄え、文化財クラスの豪邸がいくつも残っています。夏は京都逓信病院の周りに祇園祭の鉾がいくつも立ち並び、観光客で賑わいます。
満開の桜の下で、病院の患者さんがのんびりと立ち話をしていました。入院中はどうも陰鬱な気分になりますが、満開の桜を見ればそんな気分も吹き飛びます。
これだけ大きな桜ですから、京都逓信病院ができる以前からここで花を咲かせていたはずです。京都逓信病院のホームページ「沿革・歴史」には、京都逓信病院の敷地は元々後鳥羽上皇の御所があり、江戸初期以降は脇坂中務守龍野藩邸の一部だったとあります。
江戸時代以降もこの界隈には大きな商家やお屋敷が立ち並んでいたはずです。もしかしたら、この2本の桜もどこかのお屋敷跡にあったのかもしれません。
京都逓信病院の桜にはどんな歴史や経緯があるのか、ちょっと興味が湧きますね。